建設ライブラリー
建設の歴史
昔のひとたちは、
どうやって建物を作っていたの?
大工さんの歴史について見てみよう!
1.大工仕事は江戸で人気の職人
江戸時代には、なんと140種類もの職人がいたんだよ。 なかでも、現在の大工さんのお仕事にあたる、高い建物を作る「大工」、壁をぬる「左官」、そして高いところでも平気で作業する「鳶」は大人気で、「華の三職」と呼ばれていたんだ。 ただし職人になるのは大変で、12歳や13歳で親方に弟子入りして、そうじやご飯作りなどから始めなければなりませんでした。 10年以上もの厳しい修行を乗り越えた人だけが一人前の職人となり、江戸の町を建てるのに大きな役割を果たしました。 彼らの「怖いものなし!」という気持ちは、今の私たちにもつながっているのかもしれませんね。 また、大工のおしごとは他のおしごとの倍ちかいお給料がもらえたので、お金をたくさん使って派手に遊んで、江戸の町を活気づけていたんだよ。
2.火消しとしても活躍したとび職
「火事と喧嘩は江戸の華」ということわざがありますが、これは江戸時代、火事がよく起こり、 それを消す「火消し」の活躍する姿がかっこよく、人気を集めていたことを表しています。 鳶は、高いところでも平気で作業できるため、火事が起きると火消しとしても活躍し、江戸の町を守っていたんだ。 その姿はまるでヒーローのようでした。なかでも大名火消しの加賀鳶は、その派手な服装と勇敢な姿で江戸の女性たちから絶大な人気を集めていました。 その服には表は普通だけど、裏には派手な絵が描いてあって、火消しのおしごとが終わると、裏返して町を練り歩いていたんだって。 火消しのおしごとは、とても大変だったけど、江戸の人たちを笑顔にする、かっこよくて素敵な仕事だったんだね!
3.設計図って、どんなもの?
昔、大きな建物を作るとき、設計図なんてほとんどなく、大工さんが自分の頭の中にあるイメージを元に建てていました。 設計も施工も全部自分でやっていたから、設計図がなくても立派な建物を作ることができたんだよ。 江戸時代になって、外国の技術者たちは、自分の考えを正確に伝えるために設計図を描いているということが伝えられ、日本の職人たちはがんばって設計図の勉強をしたんだよ。 きれいに図面を書くために「烏口」という、インクを出す道具や、墨をすりつぶす「硯」などの専用の道具もつくられたんだって。
かつては設計図をたくさん作るために、「青写真」という方法を使っていて、青い紙に白い線で図が描かれていたけれど、水がかかると図が消えてしまうという弱点があったんだ。
最近ではコンピュータを使って図面を描く「CAD」が普及し、簡単に修正したり、立体で見たりすることができるだけでなく、建物の強度を計算したり、内部を自由に歩き回ったりすることもできるんだ。
設計図は、建物を建てるために、みんなが同じ目標に向かって進んでいくための地図のようなものなんだよ。
4.建物を建てることは、社会を作る大切な仕事!
みんなが住んでいるお家や、学校、お店。これらはみんな、たくさんの人が力を合わせて作ったものなんだ。
昔の人も、私たちと同じように、住みやすい場所を作ろうと一生懸命だったんだよ。
これから社会は、もっとみんなが快適に暮らせるように変わっていくんだ。
だから、建設のおしごとをする人は、みんなが笑顔で暮らせるような場所を作ることが大切なんだ。
例えば、太陽の光がたくさん入る明るいお家や、自然がいっぱいの公園を作るのも建設のおしごと。
ただ建てるだけじゃなくて、みんなが幸せに暮らせる社会を作るために、とても大切なんだ。
私たちの手で、より良い建物を作っていきましょう。みんなも大きくなったら、建設のおしごとに興味を持ってくれると嬉しいな!